村上春樹風アーセナル①


 

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才能
「ねえベンゲルさん、どうしてガナーズは毎シーズン安定した力を見せるのかしら」
「それなりの努力を払っているからだよ」とアーセン・ベンゲルは言った。
「努力なしにものごとが達成されることはない」
「たとえばどんな努力?」
「たとえば彼だよ」とベンゲルは言って、真剣な顔つきでストレッチをしている髪の短い
ドイツ人ミッドフィルダーを示した。

「僕は彼にとても高い移籍金を支払った。みんながちょっとびっくりするくらいの額だよ。
そのことは他のチームメートも知っているけれどね。どうして彼にそんな高い移籍金を
払ったかというと、彼にはいいパスを出す才能があるからだよ。世間の人にはよく
わかっていないみたいだけれど、才能なしにはいいパスをだすことはできないんだ。

もちろん誰でも努力すれば、けっこういいところまではいく。10本に1本はゴールを予感
させるパスを出すことができるようになる。たいていのチームにいるミッドフィルダー
はその程度のものだ。それでももちろん通用する。でもその先にいくには特別な才能が
必要なんだ。それはピアノを弾いたり、絵を描いたり、百メートルを走ったりするのと同じことなんだ。僕自身もかなりうまくパスをだせると思う。ずいぶん研究もしたし練習もした。でもどう転んでも
彼にはかなわない。同じパスコースに、同じように同じ強さでボールを転がしても、供給されるものの質が違うんだ。どうしてかはわからない。
それは才能というしかないものなんだよ芸術と同じなんだよ。そこには一本の線があって、それを越えることのできる人間と、越えることのできない人間とがいる。だから一度才能のある人間を
みつけたら、大事にして離さないようにする。高い給料を払う」

そのプレーヤーは一部の評論家からひどく嫌われていて、おかげで少しでも活躍できない試合があるとひどい記事を書かれることがあった。でも彼らはかつてマドリードで輝いていた彼をそれだけ愛していたのだろうし、ベンゲルはとくに気にもしなかった。
アーセン・ベンゲルはそのミッドフィルダーメスト・エジルを気に入っていたし、
彼もベンゲルを信頼して、よく働いてくれた。

 

条件
「条件はどのクラブも同じなんだ。故障した飛行機に乗り合わせたみたいにさ。もちろん金持ちのクラブもいりゃ貧乏なクラブもいる。古いクラブもいりゃ新しいのもいる、大きいクラブもいりゃ小さいのもいる。だけどね、人並み外れた強さを持ったクラブなんてどこにもないんだ。みんな同じさ。

何かを持ってるクラブはいつか失くすんじゃないかとビクついてるし、何も持ってないクラブは永遠に何ももてないんじゃないんじゃないかと心配してる。みんな同じさ。

だから早くそれに気づいた監督や経営陣がほんの少しでも強くなろうって努力するべきなんだ。振りをするだけでもいい。そうだろ? 強いクラブなんてどこにも居やしない。強い振りのできるクラブがあるだけさ。」

 

移籍
メルテザッカーは何度か肯いた。
ポドルスキ「決めかねている」 
「そんな気がしてたよ」 メルテザッカーはそう言うと、しゃべり疲れたように微笑んだ。 
ポドルスキはゆっくり立ち上がり、iPhoneと帽子をポケットにつっこんだ。時計は既に一時をまわっていた。 
  「おやすみ」とポドルスキは言った。 
  「おやすみ」とメルテザッカーが言った。
「ねえ、ボスが言ったよ。ゆっくり歩け、そしてたっぷり水を飲めってね」 
   ポドルスキメルテザッカーに向かって微笑み、ドアを開け、階段を上る。
街灯が人影のない通りを明るく照らし出している。ポドルスキはガードレールに腰を下ろし、空を見上げる。
そして、いったいどれだけの水を飲めば足りるのか、と思う。 

 

 

 

監督
「最近のストライカーはみんな礼儀正しくなったんだ。僕が学生の頃はこんなじゃなかった。ストライカーといえば、みんな守備の時はたってるだけで、半分くらいが性格破綻者だった。でもときどきひっくり返るくらい凄いゴールがみれた。
僕はいつもストラスブールのスタッド・ドゥ・ラ・メノに通ってサッカーを見ていた。 
そのひっくりかえるような経験を求めてだよ」 
「そういう人たちが好きなのね、ベンゲルさんは」 
「たぶんね」 
と僕は言った。 
「まずまずの素晴らしいプレーを求めてサッカーにのめり込む人間はいない。 
九の外れがあっても一の至高体験を求めて人間はスタジアムに向かって行くんだ。 
そしてそれがサッカー界を動かしていくんだ。それがスポーツというものじゃないかと僕は思う」 
僕は膝の上にある自分の両手をまたじっと眺めた。それから顔を上げてその女性記者の方をを見た。 
彼女は僕の話の続きを待っていた。 

「でも今は違う。今では僕は経営者だからね。僕がやっているのは資本を投下して回収することだよ。僕は芸術家でもないし、何かを作り出しているわけでもない。そして僕はここでべつに芸術を支援しているわけではないんだ。好むと好まざるとに関わらず、この場所ではそういうものは求められてはいないんだ。経営する方にとっては礼儀正しくてこぎれいな選手の方がずっと扱いやすい。それもそれでまた仕方ないだろう。世界中がニコラ・アネルカで満ちていなくてはならないというわけじゃないんだ。」