進化するガナーズスタイル

f:id:kokin_chan:20150506192741j:plain
 
 
「boring boring chelsea ! 」
チェルシー戦、後半20分、モウリーニョは最前線に立たせたドログバを起点にロングボールをふんだんに使ったフットボールで、この試合を守りきろうとしていた。そんな中エミレーツスタジアムにこんなチャントが響いた。かつてboring Arsenalと呼ばれたそのロンドンのチームに聡明なフランス人監督がやってきて早10年、アーセナルは当時イングランドはもちろん、ヨーロッパでも類を見ないパスサッカーをスタートさせ、現在に至るまでガラパゴス的な発展を続けてきた。
 
2013年、完璧なポゼッションサッカーとともにタイトルを総なめしたバルセロナの活躍によって、瞬く間にパスサッカーは世界を席巻した。それから現在に至るまで数年間、パスサッカーこそがフットボールの理想形であるかのような言説が世界中に溢れ、多くの指導者を感化することとなった。それほどまでにバルセロナのパスサッカーは芸術的に美しく、合理的であったのである。
実際のところ、世界は最も理想形に近いフットボールの形を見つけたのかもしれないし、それは一時の流行に過ぎないのかもしれなかった。
 
もし、フットボールを芸術と捉えるならば、パスサッカーは印象主義絵画の作品群のようだ。一見して美しく、淡く掴み所がない。最初は破壊的で、最も不合理に見えるが、よく観察するとその合理性に気がつく。だが、パスサッカーが普遍的な価値を認められるためには時間をかけて観察される以外方法はない。当時フランス絵画のスタンダードから大きく外れ、アカデミーから批判されていた印象主義の作品群のように、現代において普遍的価値を認められるものの多くは登場した当初からそうだったわけではない。
一方、クリスタル・パレスとの一戦ですでにリーグ優勝を決めたチェルシーは最も合理的な原始的な芸術ということになる、まるで先史、ラスコーの洞窟壁画のように目的に直接的である。「見せるための」芸術(フットボール)ではないことはたしかである。しかしチェルシーフットボールもある意味では芸術的で美しい、リスペクトすべきものだと思う。
 
そこには単に「スタイルの違い」があるだけなのだ。
おなじ目的のために異なった手法をえらんでいるだけであって、最近の、どのクラブのフットボールがつまらないつまらなくない論争は全くの不毛であったように思う。そこには様々なスタイルがあり、そのなかで私たちは、やっぱりアーセナルのスタイルが好きというだけなのだ。フィジカルコンタクトで戦う選手よりファーストトラップで勝負する選手が、簡単にクロスボールをあげるよりサイドからパスでDFを崩そうとするスタイルが、マティッチよりラムジーが。
 
今季2位フィニッシュが見えてきたが、それ以上にチームが出来上がりつつあるのを感じる。そして今のガナーズスタイルは勝てるスタイルなのである。2位フィニッシュはチームの進化を数字として表し自信を与えてくれる材料としてはとても良い。
これからも私たちにできることは、信じるチームのスタイルを自信を持って愛し、応援することである。